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August 1, 2025
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jan 1, 63 BC - ローマはエルサレムを支配下に置く

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塔01 6/15 27–30ページハスモン家とその遺物
サロメの死後,その息子たち,つまり大祭司を務めていたヒルカノス2世と,アリストブロス2世は権力闘争を始めました。この二人は,父祖たちの示した政治的,ならびに軍事的洞察力に欠けており,またセレウコス王国が完全に崩壊した後にその地域でローマが台頭していた重大な事態を十分理解していませんでした。西暦前63年,これら二人の兄弟はどちらも,ダマスカスにいたローマの支配者ポンペイウスに助力を求め,自分たちの争いの調停を要請しました。その同じ年,ポンペイウスと配下の部隊は進軍してエルサレムの支配権を握りました。

洞-1 226–232ページイスラエル
マカベア家もしくはハスモン家による自治が浮き沈みを経験し,ハスモン派のサドカイ人と反ハスモン派のパリサイ人という党派が生まれたのもこの時期のことでした。最終的には,今や世界強国になっていたローマの介入が要請されました。それにこたえて将軍グナエウス・ポンペイが派遣され,3か月の攻囲の末,西暦前63年にエルサレムを手中に収め,ユダヤをローマ帝国に併合しました。

洞-1 434–444ページエルサレム
アリストブロス2世とその兄ヒルカノスとの間で激烈な抗争が起きたため,ローマがその紛争の調停をするよう求められることになりました。ポンペイウス将軍の率いるローマの軍勢が,エルサレムに入城して紛争を解決するため,西暦前63年に同市を3か月間攻囲しました。そして,1万2,000人のユダヤ人が殺されたと伝えられています。その多くは仲間のイスラエル人の手にかかって死んだのです。

イ聖 記事118
ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを征服し,神殿の至聖所に入った時,箱はなくなっていると伝えている

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jan 1, 63 BC
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