mar 5, 1933 - 「最後の選挙」
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ヒトラー内閣の強硬策は各地で「ドイツの天敵であるボリシェヴィズムへの対決」として歓迎され、1933年3月ドイツ国会選挙でナチ党は288議席を獲得した。
2月20日、シャハトの仲介でヒトラー、ゲーリングは国会内に置かれた議長公邸でクルップやIG・ファルベンといったドイツ有数の企業の首脳との会合を行った (1933年2月20日の秘密会談。
この席でヒトラーはナチ党への協力を求め、ゲーリングは「この選挙がこれから先10年間の、いやおそらくは100年間の最後の選挙となることを認識されるのであれば、われわれがみなさんに要求する犠牲は決して過大なものではないでしょう。」と語りかけている。
シャハトが全体で総額300万ライヒスマルクの献金を提案すると、グスタフ・クルップがルール財閥を代表して拠出した100万ライヒスマルクを筆頭に、他の企業も追随して献金した。
シャハトは「(新内閣は)ナチス党が主張している『でまかせの改革』を実行するつもりはない」と考えており、他の財界人も同じ考え方をしていた。
ヒトラーは、首相就任を「国家社会主義運動にドイツの指導をヒンデンブルクが託した」ものであると定義し、「国家社会主義革命」によって手に入れたものであるとした。つまりこの時点でヒトラーとナチ党は「国民と国家の指導者」となっており、選挙はその信任投票であるとした。
ユダヤ人批判は抑えられたが、具体的な綱領は出されなかった。ただ「ドイツ国民よ、我々に4年の歳月を与えよ、しかる後、我々に審判を下せ!」と訴えた。
ゲッベルスの指揮するナチ党の宣伝組織は財界から得た圧倒的な資金力と国家権力を駆使した大規模な宣伝を行った。
党の主要な演説は、ラジオ放送された上に街頭に設置されたスピーカーからも流れた。突撃隊の暴力は警察によって見逃された。投票日の前日は「目覚める国民の日」と名付けられ、投票を促すキャンペーンが行われた。
3月5日に投票が行われ、結果ナチ党は288議席を獲得した。ナチ党の得票率は43.9%と単独過半数には及ばなかったものの、連立相手である国家人民党の52議席を合わせれば340議席となり、過半数を越えた。共産党は票を大幅に減らしたものの、81議席を獲得した。
投票結果が発表された直後、ゲーリングはプロイセン州の公共建造物にナチ党党旗ハーケンクロイツ(鉤十字旗)旗を掲げさせた。中央党が抗議したが、「ドイツ住民の大部分は、3月5日に鉤十字旗に信仰を告白したのだ」と述べて撤回しなかった。
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