jan 30, 1933 - ヒトラー内閣誕生
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1933年1月30日朝、大統領官邸に新内閣の首脳が集まった。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)、ドイツ国家人民党、鉄兜団の連立内閣ヒトラー内閣が誕生した。
首相はナチ党のヒトラー、副首相にドイツ国家人民党のパーペンが就任した。
首相官邸でヒトラーはプロイセン州総督へ就任できなかったことを不満に思い、国会選挙をすると主張し、フーゲンベルクと口論になるという一幕もあった。
フーゲンベルクはナチ党が要求する総選挙に反対し、新政府発足は遅れた。パーペンは午前11時までに政府が成立しなければシュライヒャーと軍のクーデターが起こると激高した。
そこにヒトラーとゲーリングが到着して選挙後も内閣改造はしないと言ってフーゲンベルクを説得したが、彼はなおも納得しなかった。
しかし、マイスナーが大統領を待たせてはいけないとたびたび注意し、解散については中央党やバイエルン人民党とも話し合うとヒトラーが告げたため、フーゲンベルクも折れた。
ヒンデンブルク大統領は国民的右翼勢力が遂に結束したことを歓迎した。
それから新首相の親任式が行われたが、大統領が通常行う歓迎演説や任務の説明も省略された。
ヒトラーはその日の夕方、閣僚に対して、共産党を禁止すればゼネストとなり軍の動員となるが、それは避けたい、最善の策は国会を解散し、次の選挙で政府が過半数をとることだと主張した。
パーペンとヒンデンブルクは国民による新政権の承認の必要性ということから、選挙を承認した。
選挙にあたってヒトラーは、パーペン内閣が準備していた「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発効させ、敵対勢力のメディアや集会を押さえ込むために活用された。
ナチ党員は歓喜し、街に繰り出して行進した。夜にはゲッベルスの演出で松明を持った突撃隊員が大行進を行った。
後に「白いバラ」運動を起こす反ナチ運動家となったショル兄妹の姉・インゲは、「ラジオも新聞も今後ドイツのすべてがよい方向に進むであろう」と報じていたと回想している。
ヒトラー内閣は首相こそヒトラーであるものの、閣僚はパーペンが選定した。
ナチ党員の入閣はヴィルヘルム・フリックとゲーリングの2名のみであった。さらに内務大臣であるフリックには警察の管理権が無いという弱体ぶりで、またゲーリングは無任所大臣にすぎなかった。
このため外部の観測では実権がパーペンのものであると見られていた。パーペン自身もそのつもりであり、「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルクに信頼されている。二ヶ月もしないうちに、ヒトラーは隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語っている。
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