dec 7, 1932 - シュトラッサー、ナチス辞任
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シュトラッサーは党の資金力がこれ以上の選挙に耐えられないと考えており、この提案を党に持ち帰ることを了承した。
しかし12月5日にホテル・カイザーホーフで開かれた幹部会でこの提案を披露したところ、かつての部下であるゲッベルスをはじめとする幹部からヒトラーを裏切ったと猛反発を受けた。
ヒトラーもシュトラッサーを猛批判し、ショックを受けたシュトラッサーは12月7日に党の役職をすべて辞任し、翌日ミュンヘンに帰った。この時、シュトラッサーは次のような言葉を残している。
「今後ドイツの運命は生まれついての嘘つきであるオーストリア人(ヒトラー)と、変質者の元将校(レーム)と、びっこの悪魔(ゲッベルス)に握られるのだ。そしてこの最後の男が最も悪質だ。彼は人間の姿をしたサタンなのだ。」
ナチス左派の領袖であり、組織を仕切ってきた古参幹部シュトラッサーの離脱はナチ党にとって大きな衝撃であり、シュトラッサーの出方次第ではナチ党が分裂する可能性も高かった。ナチ党は結党以来最大の分裂の危機を迎えた。
ヒトラーは党の分裂に怯え、もしそうなったならば「私の夢はどれ一つとして実現しないでしょう」「すべてが失われた時、私がどうするかおわかりでしょう。(中略)約束を守って、弾丸で自分の一生にけりを付けるつもりです」とクリスマスにヴィニフレート・ワーグナーへ送られた手紙で自殺すらほのめかしたけれども、シュトラッサーは党内の支持勢力を糾合してヒトラーに対抗する道を選ばず、党の分裂は回避された。
ヒトラー、ゲッベルス、レーム、ヒムラーらは、シュトラッサーの作った組織を廃止して、大管区指導者をヒトラーが直接指導する体制を作り上げ、党内ではヒトラー支持のキャンペーンが実施され、シュトラッサーは裏切り者とされ、1934年の長いナイフの夜でレームと一緒に殺害された。
12月初頭のテューリンゲン州の町村議会選挙でナチ党は壊滅的な結果に終わった。
一方、シュライヒャー首相は社会民主党の協力を得るため、労働組合の組織全ドイツ労働総同盟(ドイツ語版)の代表テオドール・ライパルトと接触を持ったが、社会民主党はシュライヒャーに反感を持っており、交渉を禁じた。
また、シュライヒャーはユンカーを押さえようと1930年に行われた東部農業救済政策で不当な利益を得た者の調査を開始するとした。
しかし、これはユンカーの猛反発を受け、自身も東部に農地を持つヒンデンブルクもシュライヒャーへの不信感を募らせた。この農地は息子オスカーの名義となっており、相続税の負担を逃れるための名義替えであるという疑惑が存在していた。
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