dec 1, 1932 - ヒンデンブルク・シュライヒャー・パーペンの三者会談
Description:
1932年12月1日、ヒンデンブルク・シュライヒャー・パーペンの三者会談を行った。
パーペンは議会の機能停止と軍隊による治安維持を提案した。
シュライヒャーはパーペンの代わりに自分が首相になり、社会民主党やナチ党の一部を切り崩すことで事態を沈静化すると提案した。
パーペンは議会に秩序が戻るまでの数ヶ月間は自分が首相として留まると主張したが、これに対しシュライヒャーは「坊さん、坊さん、汝は苦難の道を選びたりと、かつてマルティン・ルターに投げつけられた言葉を投げかけ、ここにいたって二人の関係は完全に破綻した。
ヒンデンブルクはパーペンに組閣を依頼したが、シュライヒャーは非常事態を宣言して憲法違反を犯す計画がなされてしまえば内戦になることは避けられないし、ストライキと混乱が起きると軍は国境を防衛できないと忠告した。
翌日の閣議でシュライヒャーは軍や警察にナチ党が浸透しているため、強硬手段は内戦やポーランドの介入を招くとの軍の調査結果を発表した。
この結果を受けてヒンデンブルクも「祖国を内戦に追いやることは出来ない」として、不承不承ながらシュライヒャーを首相に任命した。
ヒンデンブルクはパーペンを気に入っており、辞任の際も握手して落涙し、「私には一人の戦友がいた」と書かれた写真を贈った。この後、パーペンはヒンデンブルクの側近となった。
Added to timeline:
Date: