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August 1, 2025
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may 30, 1932 - ブリューニング内閣総辞職

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ブリューニング内閣が打ち出した東部(東プロイセン)農業救済政策はユンカーの猛反発を受け、政権は末期状態となった。

国防相グレーナー配下のクルト・フォン・シュライヒャー将軍は軍とナチ党による独裁体制を樹立することを目指し、ヒンデンブルク大統領側近という立場から政権中枢でブリューニング倒閣運動を展開した。

5月8日、シュライヒャーはヒトラーと会談し、突撃隊・親衛隊の禁止令を解除すること、新内閣成立まもなく総選挙を行うことと引き替えに協力を求めた。ヒトラーは応じ、次期内閣への支持を約束した。

国防相グレーナーの国会演説中で騒ぎがおき、シュライヒャー将軍はグレーナーに軍の支持は失ったと告げたことで、1932年5月12日にグレーナーは辞任した。

5月29日、ヒンデンブルクが辞任を求めると即座にブリューニングも辞任した。

同日午後、ヒンデンブルクはヒトラーと会談し、突撃隊禁令の撤回などが約束された。

5月30日にブリューニング内閣は総辞職した。

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Date:

may 30, 1932
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