17 lugl 1932 anni - 血の日曜日事件
Descrizione:
6月から7月にかけてドイツ各地でナチ党員と共産党員による衝突と殺人事件が多発し、相互に犠牲者を出していった。
7月17日、首都ベルリンを置くプロイセン自由州アルトナでの血の日曜日事件では突撃隊のパレードに対して共産党員・赤色戦線戦士同盟が発砲し、17人が死亡、64人が負傷した。
社会民主党の牙城であるプロイセン州では、社民党のオットー・ブラウンが州首相を務めていたが、7月20日、パーペン内閣は大統領令によって、血の日曜日事件の責任などを理由にブラウン州首相を解任し、パーペンがプロイセン総督(プロイセン州国家弁務官)となった(プロイセン・クーデター)。
社民党は抵抗できずに降伏した。州政府罷免は裁判所によって違憲とされたが、パーペンは従わず乗り切った。この事件は後にナチ党が州政府を掌握する際の先例となった。
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